福沢諭吉は、イギリス型議会政治の実現に向けて立憲改進党を結成したばかりの大隈重信に政治家への転身を促されたが、在野の言論人をつらぬいた。このような決断のバックボーンには、福澤の「学者は国の奴雁なり」という考え方があるということを知った。
奴雁とは、目の前の餌を一心不乱に啄む雁の群れの中で、一羽首を高くして周りの様子を見張る役回りの雁のことだそうだ。
政に首を突っ込んで目先のことにとらわれるのではなく、それとは距離を取って現状を冷静に分析し、日本の将来のために何をすべきかを在野で説く道を選んだのだ。
この偉人の中の偉人のエピソードに感銘を受けて、組織におけるパブリックリレーションやコーポレートコミュニケーションの役割は本質的にこういうスタンスであるべきだと考えるのはいささか大げさだろうか、それに現実的にはいろいろ難しい面もあるよな、などと考えていたら、あっという間に1月も終わりそうになっています。本年もどうぞよろしくお願いします。
(PHOTO:日蓮上人が足を洗ったとされる池に浮かぶ鳥はたぶん雁ではなくカモ)