復興相の発言が問題になり、辞任までには至らなかったが謝罪となった。最近、ほんとうに政治家の失言、放言、暴言が多い。たしかに二の句がつげぬみっともないものもたくさんあったけれど、一方で、今回の発言のてんまつも含め、日本全体が言葉に対して不寛容になっていると感じます。
前の前の首相のように言葉がライトすぎるのも問題だけど、政治家が美辞麗句や耳障りのいい言葉でその場しのぎを繰り返したら、わが国を生き返らせるための議論はできない。国民の同意も得られない。メディアの揚げ足取りに屈せず、自分自身の言葉で語ってもらいたい。
企業でも、社会から信頼を得ようとするならば、積極的な情報発信が不可欠だ。それも、経営者や社員のおなかの底から出てくるリアリティーに満ちた言葉に意味がある。特に経営者には、記者発表会やメディアのインタビューなどの広報活動において、業界の展望や会社の方針を自分の言葉で堂々と語ることが求められる。記事になったあとのことを必要以上に恐れる必要はない。ただし、細心の準備は怠ることなく。
自分の仕事にからめてそんなことをぼちぼち考えていたら、新聞でたて続けに興味深い発言を見つけた。
コピーライターの仲畑貴志氏は、「日本のコピーベスト500」(宣伝会議)刊行に寄せて朝日新聞にこんな発言をしている。「今は限られた予算で少しでもモノを売りたい。クレームも怖い。だから、商品の特性をひたすら語るような広告ばかりが増えていく」
内田樹氏は神戸新聞掲載のコラムで次のように書いている。「現に、私たちの周りでは「抗議を受けないようにすること」が社会活動の最優先事項になりつつある。人々はマニュアル通りの言葉を語り、自己判断を保留して、すべてを上司に伺い、一番怒っている人間を鎮めることを最優先業務としている。今の日本の組織人に求められているのは「そんなこと」である」
両方とも広い意味で、いまの日本における言葉に対する不寛容さに警鐘を鳴らしているものと、わたしは勝手に受け取らせていただいた。
言葉と思考は表裏一体である。自由な言葉が、自由な思考を生む。自由な思考が、楽しい社会を作る。と信じたい。
そういえば、キヨシローはずいぶん前から歌ってました。「本当のことなんか言えない。言えばつぶされる♪♪♪」
♪目黒広報研究所に投稿したブログを転載しています。