「Impossible」が「I’m possible.」に変化するCMが放映されている。その部分だけ、ちらっと見ておもしろい言葉遊びだなあと思っていたのだが、肝心のなんのコマーシャルかはぜんぜん覚えていなかった。
検索してみたらパソコンのCMだったのだが、「I’m possible.」は英語としておかしいということがけっこう出ていた。たしかに中学生のときに「It is possible for ~ to~」と使うんだよーと英語教師のミスター山田はおっしゃった。
でも、英語が正しい正しくないよりも、わたしには絵として目に入ってきた。記号を一つ加えただけで対極のイメージに変化させられるのは、おもしろいなと単純に思った。
ところで、あまりテレビをみないのでCMに接することも少ないわたしですが、コラムニストの天野祐吉氏が朝日新聞に連載中の「CM天気図」は、氏の愛情のこもったCM批評がすきで愛読している。
1ヶ月ほど前だったか、「商品を語れ」というタイトルのコラムが掲載された。アップルのiPadとユニクロのブラトップのCMについて、「売り込み文句を並べたり媚びを売ったりしなくても、商品をちゃんと語っているCM」と評価している。
天野さんの見解はこうです。以下引用します。「商品を語るということは、商品の品質や性能を『説明』することじゃない。『表現』することだ。表現は説明といちばん遠いところにあるというか、対極にあるものと言ってもいい」
そして、人の心に響くのは「説明」ではなく「主張」であり、「主張の表現」だという。
広報の仕事でいうと、たとえば記者発表会で、新製品の仕様や機能や性能の説明するだけだったら、資料を見てもらえばわかること。新製品を出すことによって世の中にどんなことを「主張」したいのか、その主張をどう「表現」すればメッセージとなるかを考えることだと思う。そうすれば新製品や新サービスを「語る」ことができるのではないか。
抽象的な話かもしれませんが、広報がこんなふうに考えて準備に取り組むだけでもアウトプットの質がずいぶん変わってくるんじゃないかと考えています。
*目黒広報研究所に投稿したブログを転載しています。